『安曇野のナチュラリストー田淵行男』 (本)

田淵行男の「初冬の浅間」の写真に魅せられて、この人のことを詳しく知りたくなった。図書館の本で検索すると、多くの写真集や随筆の本が見つかった。ただほとんどの本が、倉庫にしまわれ状態だったことを考えると、今ではあまり読まれて(見られて)いないの本なのだろう。その中でも興味深く読んだのは「黄色いテント」であり、この本を通して、彼の自然に対する考え、山岳写真、昆虫の生態研究などを断片的ではあるが知り得た。そんな矢先に『安曇野のナチュラリストー田淵行男』が11月に刊行されたので、早速この本を読んでみた。

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著者、近藤信行によるこの本は、彼の生い立ちから始まって、晩年までの田淵の生涯を実に詳しく表している。著者本人が田淵と逢ったかどうかは不明だが、田淵の残した多くの写真集、著書や彼と付き合いのあった人々との書簡等からの引用、また聞き取りにより、実に巧みに田淵の実像を浮き彫りにしている。

もともと田淵は山岳写真家ではなく、魅せられた山の自然の姿に感動して写した写真が、後になって彼の手作りの「山のアルバム」をみた人の感動によって「アサヒカメラ」に掲載されることになったものである。そこには「人に見せるため」との作為はなかった。ただ感動の赴くまま写し撮った作品が残されたものだったのだろう。

田淵は写真集の中で、単に写真だけでなく、短い文を書いている。写真をどうみるかは見る人によって異なるであろうが、彼は自分自身の記録として写真であったためか、それぞれの写真にこの短文を残したのである。しかし一つ一つが写真と共に素晴らしい文である。

「山岳写真傑作集」が刊行された時の序文に、あの名著「たった一人の山」の浦松佐美太郎が序文を書いているが、その一文が彼の作品を見事にあらわしているように感じたので引用しよう。

"優れた写真の技術を持ち、しかも山を見る眼がここまで肥えている人は、そうザラにあるものではない。その作品集が人の心を捉えるのは、美しい山の風景を写したからではなく、田淵氏の山への理解が、その作品の中に見事に表現されているからである。だからこの作品集は、眺めた山の写真ではなく、山の心に食い入った作品からなっている。そこにユニークなところがあり、痛烈な快さがそこから響いてくるのである。甘さを拒否した峻厳な美しさとでも言おうか、それこそ本来の山の美しさであり、山の個性の本然なのだ"。

晩年、田淵は「アサヒカメラ教室」で、山の写真の芸術への可能性は?との問いに、ただ「感性を磨け」と答えている。「立派な創作活動は、基礎の習得と個性的なひらめきが調和し結びつぃた豊かな絵心から生まれるので、単なる思い付きや小手先細工では本物は作り出せない」とも述べている。その点が私たちが彼の作品を鑑賞する際の心構えであろうか。

彼は若いころから一人で山に登った。夏でも冬でも単独行がほとんどだった。それは人嫌いのためでないく、自分で納得行く写真を撮るためであった。彼は教師をしていた若いころから完全主義者だったことがうかがえる。彼はまた「スポーツ登山の登山者とは、精神的様相を異にする耽美主義的な傾向を見出し、生きた自然そのものを即物的にとらえようとする自然探究者の姿を自分」の中に発見している、とこの本の著者は書いている。

私は彼の写真集をまず観て、それから「黄色いテント」等の随筆集を読んだ。この本は、それらをパスしいても、彼の人間性や作品等を十分理解できる書き方をしているが、やはり写真集から入った方が良いのではないか、と私は思う。しかしすべての本を求めることは今の我々にはできないので、この本は貴重であり、まれに見る力作である。

「あの鹿島槍への道はどこに行ってしまったのだろう」と、晩年彼は開発で変わるゆく自然の姿にを嘆いている。

「安曇野挽歌」では:

     雲雀の声も 聞こえない 春肥の匂いも 流れてこない
     蜜蜂の羽音も ひびいてこない 春風が 挽歌の野面を吹き抜けてゆく
     白馬が 挽歌の野末に浮かんでいる
     春霞の奥で 挽歌にきき入る 雪形常念坊

と戻ることもない過去の幻影詠っている。 どの山も観光地化して自然が無くなって行くのを彼は耐えられなかった。彼が生涯をかけて観察し研究した「高山蝶」は、壊滅的ダメージを受けた。

田淵行男、彼は真に「ナチュラリスト」と呼ぶにふさわしい人だったような気がした。

  

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