『椿』

三十を越して獨身の女が、洋紅の覆ひを深々とかぶった壹電燈(スタンド)のもとで、床の間の方を枕にして、左下に、臥ながら講談雑誌を讀んでゐた。まるで風のない寒い晩だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
バサツ。
すぐ枕もとだった。あとさきなしに、ただそのもの音ひとつきりだった。畳の上に何か落ちたにの違ひないが、なんなのか、顔を挙げて見る気になれなかった。
・・・
見ると、姪が、薄ウく眼をあいて、じツとこつちへ瞳を据えてゐる・・・。
ギョツとした。
「なによ!」
跳ね起きるなり、「なによ、節ちゃん!」
「いやァ!」
夜着ごと飛びついて来て、膝へ面をふせた。
「なんですつたら!」
「なんなの?」
そうッと顔あげかけた。
「知らないわ!」
膝の重みをはね返して置いて、躊躇はず枕もとを見た。感じられたよりは一二尺遠く、床の備後表の上に、真ツ赤な大輪の椿が一つ、朱椀の蓋でもふせたやうに、ぽつくりと散ってゐた。前にゐた家の庭に、眞盛り見残して来るのが惜しまれて、差配さんに頼んで、沢山剪つ貰つてきたのを、青磁の瓶に生けて飾った、――それがもう四五日あとのことになる・・・・。
「いやだわ、節ちゃん」
と言ふのが、まアよかった、の調子に落ちついてゐたので、姪の娘も起き返つた。
「なァに?」
「なによ、あんたこそ!」
「だって、姉さんが・・・」
「あたしどうもしやしないわ」
「あらきやッて言ったじやアないの!」
「だって、あんたが薄目なんぞつかってこつちを見ているからさ」


「あらァ!じやァ、あたし寝ぼけたのかしら」
「いいえ、椿が散つたのよ」
「いやァ!」
と、いきなりしがみついて、「いやよいやよ、おどかしちゃいやよ!」


「おどかすんじゃないわ。見てごらんなさいな、そこに・・・」
「いや いや いや! いやよ!」
「馬鹿ねえ、床の間に生けといた椿の花が散ったのよ。その音であんたが目を覚ましたんじゃアないの!」
「あら、さうゥ」
・・
「まあ、いやだわ、真ツ紅なのね・・・」
「なんだか気味が悪いわ」
「じゃア、持つてつて、捨てていらつしやいな」
「いやよ、姉さん捨てて来て頂戴よ」
「かまはないわ、ほっときませうよ」
「でも、なんだか血がたれているようで・・・」
「およしなさいってば!」



(続)

・・・・
(「里見 弴著、「椿」から」


面白いです~ね、こういった文章。昔読んだこの短編、何故か庭の椿が咲くと思い出します。

画像

"『椿』" へのコメントを書く

お名前[必須入力]
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント