『晴耕雨読』

おかしな天気で、このところ雨ばかり降っているような気がする。あの、カラットとした夏の空はどこに行ったのか。実際には曇り、そして夕立と言った感じなのだが。雨が止んでいる時は庭に出て庭繕い。雨が降れば読書、とまさしく「晴耕雨読」を地で行ったことをしている。

何の本かと言うと、猛暑に負けそうなので、山登りもできそうないから、久しぶりに深田久弥の本を読んでいた。彼の本と言うと、「日本百名山」の面白そうな山を得選んでは、拾い読みした程度で良く知らない。

今回、読んだ本は「深田久弥の山がたり」(山稜の風)。やっぱり彼は文章が旨いと改めて思った。山や登山の様子が生き生きとして書かれている。山の歴史も良く調べてあるので、非常に興味深い。

《深田久弥の山がたり」(山稜の風)》
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深田久弥といえば「日本百名山」が代表作。今ではブームになって「百名山」踏破の本は数えきれないし、旅行会社や登山関係企業にとってはありがたくて涙が出る本(The Book)である。
しかし彼の友人の小林秀雄がいみじくも言っていたように、「日本百名山」は彼の余興だな、の意味がなんとなく文章を読んでいてわかる。

"私は11月の山が好きでこのころよく出かけるが、殆ど人に出会うことなく、沁み入るような静寂を味わうことができる。木々は全く裸となり、何か一種の明るい空しさがそこに潜んでいる"。

こういった文章はあちこちで見かける。どちらかというと静かな山が好きだったのだろう。それが今、「百名山ブーム」を担っていると知ったら、あの世で彼はなんと思うのだろうか。もちろん彼が山を登ったのは主に昭和初期から中期にかけてなので、今と全く時代が違うのだが。

例えば、今の「山ガール」ならぬ「山女」に関してこんなことを書いている、

"女の人が服装に苦労と喜びを感じるのは当然だが、山行きにはもっとその心遣いがほしいものである。(略)
もっと自分で発明工夫をしてほしいものだ。新宿駅などに行列している女性登山家の、まるで申し合わせたような同じスタイルを見ると、つくづく個性の欠乏を感じる。・・・美しい山の頂には、謙遜な美しい姿で立ちたいものだ。・・・美しい山おんなであってほしいことは、私の願いであるばかりでなく、山に対するイチケットである。"

確かに昔の「山女」は男勝りのかっこうをして、すごかった、彼が今の「山ガール」を見たらなんというだろう。

彼の書いている山は、今のそれと全く異なる。しかも読んでいて憧れる山である。田部重治や尾崎喜八と言った山をこよなく愛する人の文章を読むのは私は好きだ。読んでいると、こんな山に登ってみたい、という気にならせてくれる。彼らの足跡をたどってみたいという気持ちがはやるが、現実は全く異なり、つらい。

せめて彼らの本を読んで、彼らに愛した山や峠、尾根を思い出して、山行きの代わりにしよう。

今読んでみたい本は;

   「うちなる山々」 (中野孝次)
   「限りなき山行」 (細貝 栄)
   「山とある日」 (上田 哲農)
   「桜の湖」  (瓜生 卓造)
   「折々の山」 (望月 達夫)
   「邂逅の山」(手塚 宗求)
   「山と行為」 (串田 孫一)
   「会心の山」 (佐伯 邦夫)
   「山を愉しむ」 (鳥賀陽貞子・恒正)
   「七十歳はまだ青春」 (脇坂 順一)  
   「沈黙の山」 (田中 澄江)
   「森からの手紙」 (田淵 義雄)
   「可愛い山」 (石川 欣一)

だが、すでに廃刊となってる本なので探すのが大変だ!





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