市塵(しじん)
国会の無意味な揚げ足取りの論争や自己本位の政治家を見ていると、まったく今の政治家たちにがっかりします。こんな風潮は何も今に始まったことではないですが、”こんな人たちに無駄な税金を払うのはやめよう”、と言いたくなります。”排除すべき無駄な政治家のランキング投票”というコラムでも作ったら面白いと思うのですが、これって名誉毀損でしょうね。といってポピュリズムの政治家はもっと嫌いだし、困ったものです。最近、藤沢周平の小説「市塵」を読みました。江戸時代、将軍 家宣(いえのぶ)に仕えた「新井白石」の話しですが、この人は病気を押して将軍家宣を補佐し、前将軍 綱吉の悪法悪例、例えば「生類憐みの令」の廃止や、「貨幣改鋳」の問題に切り込んでいった儒学者です。そこは小説ですから、歴史的事実と異なる点があるかとは思いますが、作者の白石への理解には同感することも多々あり、読み応えのある小説となっています。将軍と白石の仲介者となる、歴史上では陰間あがりで評判の悪い間部詮房(まなべあきふさ)を名参謀としたり、白石に”権力のそばにいる心地よさ”を感じさせたり、策略は「善も悪もある一面から評価することは出来な」いと思わせたりする所に作者の読者に読ませる力量を感じます。そう思うと、マスコミ経由で”政治家の一面をみてああだ、こうだと批評するのは酷かな”という気になった読後でした。一度、現在の政治家に読んでもらいたい本です。
最後に、将軍家宣が死んで、新将軍 綱吉に代わると、あっという間に権力から遠ざけられ、彼のやった種々の改革も元の木阿弥となり、自身の家も”明日立ち退け”と幕府から強要されることになります。
”白石の胸に一時代が過ぎてしまった者の悲哀が沁みわたるように溢れて来た。・・・怒りは少しづつ鎮まって、白石は替わりに深い失望感にとらわれていた。ただ、その失望感の中に、残された道が簡明に見えていることも確かだった。ーーー市塵の中に・・・。帰るべしということなのだ、と白石は思った”。儒学者として市井に戻っていったのでしょう。白石の自伝「折りたく柴の記」を読んでみたくなりました。
最後に、将軍家宣が死んで、新将軍 綱吉に代わると、あっという間に権力から遠ざけられ、彼のやった種々の改革も元の木阿弥となり、自身の家も”明日立ち退け”と幕府から強要されることになります。
”白石の胸に一時代が過ぎてしまった者の悲哀が沁みわたるように溢れて来た。・・・怒りは少しづつ鎮まって、白石は替わりに深い失望感にとらわれていた。ただ、その失望感の中に、残された道が簡明に見えていることも確かだった。ーーー市塵の中に・・・。帰るべしということなのだ、と白石は思った”。儒学者として市井に戻っていったのでしょう。白石の自伝「折りたく柴の記」を読んでみたくなりました。

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